乳がん手術後、「再建しない」という選択肢 〜Going Flatという生き方〜
乳がん手術で乳房を切除したあと、インプラントや自家組織を使って乳房のふくらみを再建せず、胸を平らなまま(“フラット”)に保つという生き方を、「Going Flat(ゴーイング・フラット)」と言われています。
Going Flatのムーブメント
アメリカでは乳がんの手術で乳房を全摘したあとの「再建(胸をつくる手術)」は、これまで長い間、「なるべく多くの人に届けるべき」とされてきました。1998年に乳房再建が保険の対象になってから、再建を受ける人がどんどん増えていきました。「再建は見た目だけでなく、心の健康や生活の質(QOL)にも大きな影響を与える」という考え方が広まり、医療制度もそれに対応してきたのです。
近年、その流れに変化の兆しが見られます。最新の研究によると、ここ25年で初めて、乳房再建の割合が減少に転じた可能性が報告されました。特に50歳未満の若い女性たちの間で、「再建しない」という選択肢を選ぶ人が増えているのです。
こうした変化の背景には、患者さんの価値観の多様化があります。かつては「乳房を失ったままにしておくのは良くない」「再建するのが当然」という風潮もありました。しかし今、多くの女性たちが「自分にとって本当に必要な手術は何か」を考え、 自分の気持ちや価値観を大切にして、Going Flat 「フラットでいたい(=乳房を再建せず、平らな胸のままでいたい)」という意思を表明するようになっています。
2016年にはアメリカで「医師にフラットでいたいと伝えたのに、皮膚を多めに残された」「再建を強く勧められて断れなかった」といった患者の声がメディアに取り上げられ、社会的関心が高まりました。「Going Flat(フラットで行こう)」という運動が注目されるようになりました。その後、医療の現場でも「再建しないこと」も一つの尊重される選択肢であるという認識が浸透してきています。
大切なのは、「再建率が高い=良い医療」ではないという視点です。再建の技術がどれほど進んでいても、本人が望まなければ意味がありません。どんなに医師が善意で提案しても、それが本人の価値観や希望にそぐわなければ、満足にはつながらないのです。
乳がんの手術において、治療成績が同じであれば「どの方法が正解か」は他人が決めることではありません。「自分はフラットでいたい」と思えば、それがその人にとっての最良の選択なのです。本人が納得できたなら、それは「良い医療」と言えるのではないでしょうか。
日本ではまだ十分に知られていない考え方かもしれませんが、 「Going Flat」は、 実は多くの方にとって、自分らしく納得のいく人生につながる、大切な考え方、生き方なのです。
「乳房を再建しない私」は間違っている?
そんなことはありません。再建を選んだ人とGoing Flatを選んだ人の間で、生活の質(QOL)や身体イメージ、性に関する満足度に大きな差はないという研究結果もあります。
再建しないという選択は、医学的にも心理的にも十分に尊重されるべきものなのです。
なぜGoing Flatを選んだの?
Going Flatを選ぶ理由は人それぞれですが、よく聞かれるのは以下のような声です。
- 合併症が少ない
- 回復が早い(再建を伴わない手術は1回で済むことが多い)
- 体に異物(インプラントなど)を入れたくない
- 自分の生活や価値観に合っている
「再建ができなかったから」ではなく、「自分で選んだ結果」としてGoing Flatを選ぶ方が、増えています。
創の閉じ方の工夫も
再建しないと「見た目が…」と不安に感じる方もいるかもしれません。
乳房切除後の胸の傷を閉じるときに、 乳房のふくらみを作らず、 患者さんの体格や希望に合わせ、左右のバランスやシルエットに配慮して、できるだけ自然で滑らかに仕上げる工夫も可能です。
大切なのは「自分で選ぶこと」
Going Flatを決めるタイミングや方法に「正解」はありません。
- 最初から「再建しない」と決める人
- 一度再建したけれど、痛みや違和感でやめる人
どのケースでも、納得のいく選択を、自分のペースで行うことが大切です。
医師との対話、周囲との対話
実は、「再建するのが当たり前」と考えている医師もいます。そのため、Going Flatという選択肢が提示されないこともあるのです。
自分の希望を実現するためには、「再建は希望しない」とはっきり伝え、自分の意志を尊重してくれる医師を選ぶことがとても重要です。
また、家族やパートナーへの伝え方にも正解はありません。
必要な範囲で、必要な人に、必要なタイミングで伝えれば十分です。
性やパートナーとの関係についての不安
胸が「性的な魅力の一部」と感じられていた方にとっては、Going Flat後の性生活に不安を感じるのも自然なことです。
でも、実際には満足のいく性生活を送っている方も多くいます。
心配なときは、乳がん患者のケアに詳しい看護師やカウンセラーに相談するのも一つの方法です。
自己表現の工夫もいろいろ
Going Flatを選んだ人の中には、初めは喪失感を感じた方も、時間とともに「今の自分の体が心地いい」と感じるようになったという声が多くあります。
人工乳房を使う方、使わない方、傷あとにアートタトゥーを入れる方、乳頭を再現したタトゥーや取り外せるニップルを使う方…表現の方法もさまざまです。
日常の服装も、「フラットな胸を活かしたファッション」を楽しむ方もいれば、「ふくらみをカバーするスタイル」が落ち着くという方も。ハッシュタグ「#GoingFlat」や「#Flattie」でInstagramを検索してみると、新しい自己表現を楽しむ方々の投稿が見つかります。
必要なもの・使いたいものを、自分で自由に選べるのがGoing Flatのよさです。
こちらのブログも参考に ▷ 胸のラインが気になる?乳がん術後のアピアランスケア
情報提供の課題とこれから
残念ながら、乳がんの治療に関して「こんなはずじゃなかった」と後悔する方の多くが、「十分な説明がなかった」と答えています。
再建ありきの前提ではなく、患者一人ひとりが「自分らしい選択」ができるよう、 Going Flatも「正しく提示されるべき選択肢」であること。
外見の左右差への不安を感じたり、社会的な「女性らしさ」の圧力から、フラットな体を受け入れることに心理的な壁を感じる方もいるかもしれません。 すべての人に適しているわけではなく、まだまだこれから研究が必要です。
一人ひとりの気持ちや価値観を丁寧に話し合い、共有していける医療の姿勢——共有意思決定(Shared Decision-Making)——が、これからもっと大切になっていくはずです。
おわりに 〜フラットで生きるということ〜
乳がんの手術の選び方は、とても個人的なものです。費用、手術のつらさ、回復までの時間、見た目、自分の気持ち、家族や仕事のこと……どれを大事にするかは、人それぞれ。だからこそ、「自分はどうしたいか」を医師とよく話し合って、納得して決めることがとても大事です。
自分で選んで決めた人ほど、「この選択でよかった」と感じやすいこともわかっています。統計では見えない、一人ひとりの思いがあります。
乳房再建を「する」「しない」――どちらが正しい、ということはありません。大切なのは、あなたが自分で選び、納得できること。
「Going Flat =フラットで生きる」という言葉には、胸の形に限らず——何かを「良い」「悪い」と決めつけず、他人の選択も自分の選択も、フラットに見つめて大切にしていくという生き方も含まれています。
どんな体も、どんな選択も、あなたがあなたのために選んだものであれば十分に尊い。
再建がすばらしい選択であるように、それと同じくらい、再建しないこともすばらしい選択なのです。
Going Flatは、「できなかった選択」ではなく、「自分で選んだ選択」であるべき。
もしGoing Flatという道に少しでも関心があるなら、ぜひ情報を集めて、あなたにとっての「心地よい選択」を考えてみてください。