乳がん治療後のケモブレインの謎①
乳がん治療を終えたの方のなかには、以前よりも思考がはっきりしなくなったと感じる方がいます。物忘れが増えたり、集中力が続かなかったり、作業を完了するのが難しくなったり、新しいことを学ぶのに苦労したり…これがいわゆる「ブレインフォグ」や「ケモブレイン」と呼ばれるものです。
ケモブレイン/ブレインフォグとは?
「ケモブレイン(chemobrain)」は、乳がん治療中または治療後に感じる認知機能の低下を指す言葉です。ケモ=chemotherapy(抗がん剤治療)、ブレイン=brain(脳)を合わせた造語で、「ブレインフォグ(脳に霧がかかっている)」とも呼ばれます。症状には以下のようなものがあります。
症状
- 記憶の抜け落ち(普段なら思い出せることが思い出せない)
- 集中力の低下(注意が続かない、すぐ気が散る、周囲の状況を見失う)
- 名前・日付・出来事などの詳細を忘れる
- 計画を立てる、決断するのが難しくなる(実行機能の障害)
- マルチタスクが難しくなる(料理中に電話に出るといった同時作業ができなくなる)
- 新しいことを学ぶのが難しくなる
- 作業が遅くなる、整理ができなくなる
- 言葉が出てこない、適切な単語が思い浮かばない
これらの変化により、学校や仕事、趣味、社交活動に影響が出ることがあります。通常よりも多くの精神的エネルギーを必要とし、疲れやすく感じることもあります。
このような症状は、特に乳がんの患者さんの間で多く報告されており、全体の約30〜70%が治療中または治療後に認識するといわれています(J Clin Oncol, 2006)。
記憶・思考・集中力の変化の症状は、周囲の人には気づかれにくいことがあります。しかし、本人は違和感を強く感じることが多いです。
原因は何?
乳がん治療による「ケモブレイン」は、さまざまな要因が絡み合って引き起こされます。
1.記憶・思考・集中力の変化を引き起こす可能性のあるがん治療
- 化学療法
- 手術
- 放射線治療
- 免疫療法
- ホルモン療法
- 分子標的治療
- 治療の一環で使用されるその他の薬剤(ステロイド、吐き気止め、鎮痛剤など)
化学療法による脳への影響
化学療法はがん細胞を攻撃する一方で、健康な細胞にも影響を与えることがあります。これにより、脳の神経伝達物質のバランスが乱れることがあります。特に、記憶や集中力に関わる前頭前野や海馬への影響が報告されています。
MRI研究では、化学療法後の患者の脳において、灰白質(情報処理に重要な部分)が約5〜10%減少することが確認されています(Cancer, 2013)。
ホルモン療法
乳がん治療後、ホルモン療法を受けている患者さんは、エストロゲンの抑制により脳の働きに影響が及ぶことがあります。エストロゲンは、脳の血流や神経保護に関与するホルモンで、その減少が認知機能に影響を与える可能性があります。
2.変化を引き起こしたり悪化させたりする要因
- がん自体(脳腫瘍など)
- 糖尿病や高血圧などの他の病気
- がんや治療に伴う症状(疲労、痛み、不眠など)
- 感染症
- ストレス、不安、うつ
- 低赤血球(貧血)
- ホルモンの変化(閉経後など)
- 栄養不足や偏った食事
- 高齢
- 体力の低下(フレイル)
- アルコールやその他の脳に影響を与える物質の使用
ストレスと睡眠不足
乳がんの診断や治療によるストレス、そして治療によるホットフラッシュや不眠は、脳の働きにさらなる負担をかけます。慢性的なストレスは、海馬(記憶を司る部分)の体積を縮小させることが知られています(Stress, 2017)。
どのくらいの期間続くの?
ケモブレインの症状は個人差が大きいですが、治療後数か月で改善する方もいれば、数年続く方も10〜30%程度いるとされています(J Clin Oncol, 2012)。ただし、脳の適応力(可塑性)により、多くの方が時間とともに症状の軽減を実感しています。
どう対策すればいいの?
1. 定期的な運動
運動は、脳の血流を改善し、神経細胞の再生を促進します。研究によると、週に150分程度の中強度の有酸素運動が記憶力や注意力の向上に役立つとされています(Neuroimage, 2019)。
ヨガ、太極拳、気功などを行うと、集中力が改善する可能性があります。
2. バランスの取れた食事
地中海食:魚、野菜、果物、ナッツを中心にした食事は、認知機能をサポートします。
抗炎症効果のある食品(例:オメガ3脂肪酸やポリフェノール)もおすすめです。
3. マインドフルネスとリラクゼーション
ストレスを管理することが、ケモブレイン対策の鍵です。深呼吸や瞑想を取り入れることで、不安感を軽減し、集中力を高める効果が期待できます。
4. 認知トレーニング
パズルや記憶力ゲームなどの遊びを取り入れることで、脳の機能を鍛えることができます。
5. 専門家への相談
症状が長引く場合は、認知行動療法(CBT)などについて専門医に相談することも一つの選択肢です。
おわりに
乳がん治療後のケモブレインは、決して「自分だけの問題」ではありません。同じ経験をしている方が多くいることを知り、無理せずに周囲や専門家に頼ることも大切です。
また、自分では強く感じるかもしれませんが、他の人にはそれほど気づかれないこともあります。家族や友人、医療チームに現状を伝えることで、気持ちが楽になるかもしれません。家族や友人がサポートしてくれることで、集中しやすくなったり、情報処理がスムーズになったりすることもあります。
次回は、ケモブレインに対して、ご自身で取り組める生活習慣についてもう少し詳しくお伝えします。
Chemo brain – Symptoms and causes – Mayo Clinic
Changes in Memory, Thinking, and Focus (Chemo Brain) | American Cancer Society