乳がん経験者とパートナーの関係 〜セクシャルヘルスの視点から〜

乳がんは女性の約9人に1人がかかるとされる、非常に身近な病気です。近年は治療成績が向上し、5年生存率は90%を超える時代になりました。
乳がんの治療は、あなたの命を守るために大切ですが、その後の人生にさまざまな影響をもたらします。 治療後に直面する「生活の質(QOL)」の問題、 体力や気分の変化、外見の変化に加え、セクシャルヘルス(性の健康)の変化は、まだ十分に語られていません。
今日は、多くの患者さんからご相談を受ける「「パートナーとの関係」「性の健康」について、お話しします。
セクシュアルヘルスとは?
「セクシュアルヘルス」という言葉を聞くと、性のことだけを指すように思う方も多いかもしれません。
でも実はもっと広く、心と体、そして人との関係性までを含めた“健康の一部” を意味します。
WHO(世界保健機関)は、セクシュアルヘルスをこう定義しています。
性的なことに関して、身体的・感情的・精神的・社会的に良好な状態にあること。
「 性に関する病気がないこと 」だけではなく、
- 痛みや不快感がないこと
- 自分の体を前向きに受け止められること
- パートナーと安心して気持ちを分かち合えること
- 性を通じて人生に喜びやつながりを感じられること
などが含まれます。
治療後に直面する変化
乳がんの治療を経験された方が、セクシャルヘルスに関して抱える代表的なお悩みには次のようなものがあります。
- 倦怠感・気力の低下
手術後、抗がん剤、放射線治療、ホルモン療法などを経ると、慢性的な疲れを感じやすくなります。抗がん剤やホルモン療法を受けた患者さんの約6〜7割が、慢性的な倦怠感を訴えるという報告があります。この疲労感は性への関心低下にも直結します。 - ホルモン療法による膣の乾燥・性交痛
ホルモン療法(タモキシフェンやアロマターゼ阻害薬)は再発予防に重要ですが、エストロゲン抑制のため膣の乾燥や粘膜の萎縮が起こり、性交時に痛みを感じることがあります。研究によれば、乳がんサバイバーの約50〜75%が「膣乾燥や性交痛」を経験するとされます。 - 外見の変化
乳房切除後の女性の約30〜40%が「ボディイメージの低下」を報告しています。乳房切除や部分切除、再建の有無、脱毛、体重変動など、外見に変化が生じることで、「以前の自分とは違う」という喪失感や、パートナーにどう見られているかという不安を抱える方も少なくありません。
以前のような気持ちになれない。パートナーと、どう向き合ったらよいのだろう?…
これらはどれも「よくあること」であり、決して一人だけの悩みではありません。
乳がんを含む女性がんサバイバーの半数以上が、膣乾燥・性交痛・性欲低下を経験すると報告されています。
パートナーとの関係を保つために
セクシャルヘルスは「身体的な問題」だけでなく「心と関係性」に深く結びついています。以下のような工夫が役立ちます。
1. 率直なコミュニケーション
研究によると、パートナーと率直に治療後の悩みを共有している女性は、性生活の満足度も有意に高い傾向があります。
「疲れている」「痛みがある」「触れられるのは嬉しいけれど、ここは苦手」など、正直に伝えることが大切です。パートナーはどう接したら良いか迷っている場合も多く、言葉で共有することで安心感が生まれます。
2. 性交にこだわらない親密さ
スキンシップやスローセックス、マッサージなど、性交にこだわらない関係性が推奨されています。実際、性生活を「再定義」することはQOL改善に有効と報告されています。
スキンシップやハグ、手をつなぐことも立派な愛情表現です。性交だけが「親密さ」ではありません。無理のない範囲で、心地よい触れ合いを一緒に探していくことが大切です。
3. 医療的サポートを活用
膣の乾燥や痛みに対しては以下が推奨されます。
- 保湿剤(膣用保湿ジェル):定期的に使用することで乾燥を緩和。
- 潤滑剤(性交時):摩擦を減らし痛みを軽減。
- 低用量の膣局所エストロゲン製剤:再発リスクが高い方では注意が必要ですが、検討可能。
国際的ガイドライン(NCCN Survivorship Guidelines 2024)でもこれらが推奨されています。
4. 自分の体を「受け入れる」プロセス
鏡を見たり、アピアランス支援(ウィッグ、補正下着、乳房再建)を取り入れることで、自分の体を少しずつ肯定できる方もいます。「前と同じでなければならない」という思い込みを手放すことも大切です。ボディイメージの改善は、パートナーとの関係にも良い影響を与えることが報告されています。
骨盤底筋体操やストレッチなどのリハビリ、カウンセリングも良いと言われています。
最後に
乳がん治療後のセクシャルヘルスは、まだ医療現場でも十分に語られていないテーマです。
でも実際の診療では、パートナーとの関係はよくご相談をいただきます。
セクシュアルヘルスは、決して「贅沢なこと」や「我慢すべきこと」ではありません。
食事や睡眠、運動と同じように、生活の質を支える大切な要素です。
命を守ることと同じくらい「人生をどう生きるか」は大切です。
もしパートナーとの関係や性の悩みで戸惑っている方は、どうか一人で抱え込まず、信頼できる医師やカウンセラーに相談してください。
あなたの身体も心も、そしてパートナーとの関係も、治療後に新しい形で育んでいけるはずです。
患者さんとそのご家族が、治療後も豊かな関係性を築けるよう、私も引き続きサポートしていきたいと思いますので、気軽にご相談ください。
さらに学びたい方へ
- NCCN Survivorship Guidelines 2024(英語)
