地方出身の私が、芦屋でクリニックを開いた理由
「どうして芦屋で開業されたんですか?」
患者さんや知人から、よく聞かれる質問です。
私は、北陸の中でも田舎のほうで育ちました。
電車は1時間に数本、病院も少なく、医師に出会う機会も限られていた地域です。
そんな私が今、芦屋でクリニックを開いていることに、
自分でも少し不思議な気持ちがあります。
情報が届きにくい場所で育った私
私は地方で育ち、進路の選択肢も限られていました。
私は、医療を仕事にしている家族もおらず
身近に病気で苦しむ人がいても、
「どこに相談したらいいのか」
「これは大丈夫なのか」
すぐにわかる環境ではありませんでした。
親にも先生にも言い出しにくいような体の悩み。
「このくらいなら我慢しよう」と思ってしまうような気持ち。
そんな中で、
「誰かに相談できていたら、もっと心が軽くなったかもしれない」
という思いから、医師を志すようになりました。
医師になりいろんな場所で経験を重ねながら、
「自分がどんな医療をしたいのか」をずっと考えてきました。
母として、医師として、働き方を問い直す中で
乳腺外科の道を選び、関西で修練を積みながら、子どもにも恵まれました。
仕事にも家庭にも全力で向き合いたいと願っていましたが、
そのバランスは、思っていた以上に難しいものでした。
遅くまで仕事をして技術や専門性を磨いても、子どもが小さいうちは時間の確保が難しく、
体も心も疲弊するばかりでした。
産後の心身の調子もなかなか良くならず、
「このままでは、家族も、自分も大切にできない」
そう感じたとき、働き方そのものを見直す必要があると気づきました。
クリニックを開院したのは、
医師としての専門性と、自分の人生や家族との生活を両立させるため。
ライフステージや自分の興味関心が変わっても、柔軟に自分で決められること。
そして同じように、自分を大切にしたいと願う女性たちが、
自分の体と心に向き合える場所を作りたかったのです。
芦屋という町に感じた、“ちょうどよさ”
子どもが生まれてから、自然が多く住環境も整った芦屋に、家族で引っ越してきました。
家から通えるということもありますが、
私が芦屋で開業を決めた理由は、ひとことで言えば
「この町なら、できる」と感じたからです。
神戸と大阪の中間にある住宅街。大きな病院も、地域のかかりつけ医もある。
でも、乳腺のことを安心して相談できる“中間地点”のような存在は、
芦屋にも、神戸・西宮・尼崎にも少ないと感じました。
• 病院に行くほどではないけれど、専門医に聞いてみたい
• 検診でひっかかって不安。でも、どこに行けばいい?
• 治療後も、ちょっとした不安を話せる場所がほしい
そんな女性の声に応えられる場所が、
きっと必要だと、直感的に思ったのです。
そして、駅から徒歩3分という立地も、
働く女性・子育て中の方・ご高齢の方にも無理なく来てもらえる場所だと感じました。
“都会的だけど、あたたかい”場所にしたかった
芦屋には、おしゃれで洗練された空気があります。
一方で、人と人との距離があたたかく、丁寧な暮らしをしている方が多い印象を受けました。
だからこそ、「洗練されているけれど、あたたかく迎え入れてくれる場所をつくりたい」
そんな思いをクリニックづくりに込めました。
• 技術や知識はしっかりと
• でも、患者さん一人ひとりに合わせた関わりを大切に
• ちょっと気になることも、気軽に聞ける雰囲気
自分自身が10代の頃に「こんな場所があったら」と思っていたクリニックを、
いま、この町で実現したい。
そう思って、2020年に芦屋での開業を決めました。
“誰かのため”を、自分の言葉で届けていきたい
医師として長く働いてきましたが、クリニックを開くというのはまた違う挑戦です。
組織に守られていない分、私自身の言葉と想いがすべてだからです。
でも今は、このクリニックを通じて、
• 誰かの不安を少しでも軽くすること
• 必要な情報を、必要な人にちゃんと届けること
それを、自分の責任でやっていけることに、大きなやりがいを感じています。
あの頃、誰にも言えない不安を抱えていた女の子の気持ちを、私はずっと忘れていません。
皆さんの心の中にも、少し不安で、でも前を向きたいと思っている女の子がいませんか?
そんな気持ちに、そっと寄り添える場所。自分自身が欲しかった場所を、今、誰かのために私はつくっていきたいと思っています。
そして、地域の皆さんと一緒により良いクリニックにしていきたいと考えています。